大判例

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東京地方裁判所 昭和24年(タ)81号 判決

原告 尾崎慶子

被告 尾崎忠男(いずれも仮名)

一、主  文

原告と被告とを離婚する。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

原被告は昭和十五年十二月十一日朝鮮京城府で事実上の婚姻をし爾來同地で同棲し、昭和十六年二月四日婚姻届出を了した。被告は陸軍建築技師であつたが、同年十月初旬北朝鮮に出張し、翌十七年五月北京に派遣された。そして二ケ月位の後北支山西省太原市に移つた。当時原告は北支への同行が許されなかつたため同年六月頃肩書住所に引揚げ、被告と別居生活をすることとなつた。ところが被告は終戰後も彼地にとどまり、いくたびか帰国の機会があつたのに、今日にいたるまで帰国せず、昭和二十一年三月頃からは原告に対し音信も絶つている。そして、被告はかねて現地で他の婦人と同棲している始末である。かようなわけで、被告はもはや帰国の意思がないものと見られる。右の事実は原告を惡意で遺棄し且つ不貞な行爲があるものに該当する。

そうでなくとも、原告は終戰後生活費の支給も受けず、今日にいたつたもので、將來の身の振り方も考えなければならず、この上いつまでもこのような被告を待つて婚姻を続けてゆくに堪えられない。この事実は婚姻を継続し難い重大な事由があるときに該当する。

よつて原告は被告に対し民法第七百七十條第一項第一号第二号第五号にもとずいて離婚を求めると述べた。

<立証省略>

被告は本件口頭弁論の期日に出頭しなかつた。

三、理  由

一、公文書であつて眞正に成立したものと認める甲第一号証、証人高橋五郎、同中川熊次の各証言、原告本人尋問の結果及び右尋問の結果により成立を認める甲第二、三号証の各一、二(佐竹晃、田島正の手紙)を合せ考えると、次のことが認められる。

(一)  原被告は昭和十五年十二月十一日朝鮮京城府で事実上婚姻し爾來同地で同棲し昭和十六年二月四日婚姻の届出をした。当時被告は陸軍建築技師であつたが、その後北鮮の出張所勤務となり、次いで昭和十七年五月末北京に轉任した。ところが、家族の同伴は許されなかつたため被告は單身赴任し、原告は同年六月肩書現住所に引揚げた。かようにして原被告は別居することとなり、被告はその後程なく轉任して北支山西省太原市に移つた。

(二)  原告は昭和十八年三月頃、陣中見舞のため同市に被告を訪ね、一ケ月ばかり滞在していたことがあつたが、当時被告は他の女性と関係のある様子が見受けられた。終戰後は同市に残留していた單身の男女は單身で生活することの困難な事情もあつたので、殆んどたれもが、適当な相手を求めて夫婦同様の生活を営んでおり、そのなかには内地へ上陸するまでの間という約束でかりの夫婦となつている者も多かつた。被告も終戰後同市で三十歳余りと思われる女性と同棲して、夫婦同様の生活を続け、被告の友人中川が昭和二十三年十月引揚げた当時も被告はその女性と同棲をしていた。

(三)  被告は終戰後国民政府軍に勤務していたが、昭和二十三年十月初までには被告の周囲の者も多く引揚げた。当時中川は帰国に際し被告の家に挨拶に行つたところ、被告は中川に対して「留用されたから帰らない」といつていた。しかし被告は年をとつているため、是非とも中国軍に留用されねばならない程でもなかつたので、しいて帰国しようと思えば絶対に帰れないこともなかつたかも知れなかつた。もつとも当時同市にいた日本人としては、いま直ちに日本へ帰つても、生活ができるかどうか不安であつたので、こうしたことも被告が当時しいて帰ろうとしなかつた原因であつたかも知れない。翌二十四年三月頃にもなれば、また引揚げがあるだろうとの噂もあつたが、当時中共軍は太原にせまり、砲声は太原城外にとどろき、いまにも太原は中共軍に占領されるような情勢にあり、中共軍が入つてくれば、帰国できなくなるであろうことは考えられないでもなかつた。しかし被告は右のような事情で帰ることが困難なまましいて帰ろうともせず、中川に対して原告にこの次の船で帰るからと傳言を頼んだので、中川は帰国して原告にその旨を傳えた。その後間もなく太原は中共軍の占領するところとなり、右の引揚を最後として、引揚不能となり音信も絶え、なお二千余名程の日本人を残して今日に至つている。

そこで以上認定の事実が民法第七百七十條にいう惡意の遺棄または不貞な行爲に当るかどうかを考えるに、このような特殊の事情の下に帰らなかつたことは、必ずしも被告の不誠意によるものとは考えられないから、これをもつて直ちに被告が原告を惡意で遺棄したものとはいゝ難い。また夫の不貞行爲が離婚原因として法律上認められたのは、應急措置法施行の昭和二十二年五月三日からであるから、不貞行爲を本訴の離婚原因とするならば、その後の被告の行爲について問題にしなければならないのであるが、戰後の外地におけるこのような特殊な環境の下にあつて、被告が他の女性と同棲した事実があつたとしても、これを平常時における平常な環境のもとにあつたと同様に考えることはできない。もとより妻としては忍び難いところではあるが、これを不貞な行爲があつたものとして、離婚の責を帰せしめることは酷であつて、同條第二項に裁判所は不貞の事由があるときでも「一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは離婚の請求を棄却することができる」と規定している趣旨よりしても、この事実だけをとらえて被告に不貞な行爲があるものとして離婚の判決をすることは適当ではない。

二、しかし一方、前記高橋の証言及び原告本人の供述に徴すると、原告は被告と別居以來今日まで八年にわたつて孤独の生活を守り、終戰後は被告からの便りも簡單なはがきが一、二度來ただけで生活費の支給もなく、実家の援助によつて辛うじて生活を維持していることが認められまた中川の証言によると内地に帰るまでの約束で夫婦となつていたものでも、帰国後別れきれない人もあることが認められるから被告が帰国してもその女性との関係が清算されるとも断言できない。原告がこの際今後の身の振り方を考えねばならぬことも、またやむを得ないところである。殊に原告の供述によると、原被告が京城府で同棲した期間もわずかに十ケ月位にすぎなかつたため、夫婦の愛情を深めるまでに至らず、またその間には愛情のきずなである子もないことが認められる。なお原告の供述によつて成立を認められる甲第四乃至第八号証の各一、二に徴すると、内地にいる被告の弟妹等一族の人々も挙げて原告の境遇に同情を寄せその幸福のため、むしろ原被告が離婚することに賛意を表していることが認められる。できることならば被告の引揚げを待つて、その意向をたしかめた上で、双方の幸福のために善処することが、望ましいことではあるが、右の事情であつて見れば原告が今日被告との離婚を求めることはまことにやむを得ないことであつて、右の事実は民法第七百七十條第一項第五号にいわゆる「婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に該当する。

從つて、右事由にもとずき被告との離婚を求める原告の請求は正当である。

よつて右請求を認容し訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 千種達夫 三和田大士 石渡満子)

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